話をしていて、改めてわかったいくつかのこと。
今まであたしは、「わかってもらおう」としすぎていたのかも知れない。
多分、誰にでも。
大切なひとであれば、だいすきなひとであれば、あるほどに。


そんなこと何も考えずに、ただ聞かれたことや自分のことそのままを語れる、
そして否定されない場 に恵まれたことは、自分の中でとても大きかった。
こういう自分の出し方 でないと気付けないこと が、いくつもあった。


もう、考えたくないのだとおもった。
考えてもどうにもならないことを知っているのは、ずっと昔から。
どうにもならない欲望に苦しむのも、ずっと昔から。
たとえば、ころしたい、とか。消えたい、とか。
現実を受け入れようとしないのも。責任転嫁してしまう癖も。
人生を何年も何年もさかのぼって、こうなってしまった原因を探したって、
結局は責任転嫁になるんだろう。


誰も悪くないのに、満ち満ちた苦しみは生まれる。
だけど良いことをしないと、満たされる程の幸せも喜びも、生まれない。
そういう現実。


近道をしようとしすぎる。
近道を、望みすぎる。
それによって、回り道になっていることには、気付けない。
前を向いて歩こうとしても、手にあるすべてがきらきらとしていても、
どんなに幸せでも、邪魔なもの の存在に、あたしはとても弱い。
それにはっきりと気付いた。
おもえばいつも。
いつのときも、何かによってあたしの幸福はおびやかされているのだと、
止まない不安を抱えていた。


だけど、その不安や醜い感情をぶつけなくて済んでいたのは、
あたしが書くことを知らないひとたちにだけだ。
それはあたしのすべてを、半分も、知らないということとおんなじだった。
あたしのすべてを知ってしまうと、こんな酷い不安まで知ってしまう。
どうしてあたしはこんなにも醜いの?どうして邪魔だとおもってしまうの?
どうして
消し去ってしまいたいの?
消え去ってしまいたいの?


わからない。
どうしてあたしの真実はいつも
大切なひとを傷つけたり、かなしませてしまうんだろう。


どうしてこの世界の真実にいつも、
あたしは傷ついたり、かなしんだりしてしまうんだろう。