休もう、休もう、としているのに
何がそれを赦さないんだろうか
いろんな感情、が呼ぶ感覚、与える感覚、現象と、


どうした方がいい、とかどうするべきだ、というのは
正しさを求めるにはちょうどいい言葉だけれども
本心をわからなくして、素直さを失くしてしまう言葉だ


あたしの夢は潰れてしまったから、生き様にはもう、その
どうした方がいい、とか、どうするべきだ、という正しさも
似合わなくなってしまった



掴むべき幸せを手にして歩いていくひとを見送っては
よくもあんな眩しい場所に向かって歩いて、目が眩まないなあって
ため息をついてあたりをみまわすけれど



求めたいことも、望みも、ほんとうに欲しいものも
ちゃんと、すこし大きめの欠片としてここに残っているけれど
それらが叶わない どころか、あたしが抱くべきそれじゃないことを
あたしはよく理解していて、だから
いつまでも叶わない淋しさは拭えないままで、持っていないみたいに嘘をつくから
汚れていくばっかりだ。


休みたい。
おはようって言ってくれるひとなんて居ないことはわかっている。
だからこそ。


自分の醜さに耐えられない。
こんなの、もう、忘れ去られたいよ。
消え去りたいよ。